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木村昴は新小岩育ち!小学校から大学までの学歴と経歴紹介

この記事では、声優でタレント、俳優、ラッパーでもある木村昴さんの学歴や出身校について紹介します。

中学生の時にアニメ『ドラえもん』のジャイアン役としてデビュー後、テレビや舞台など活躍の場を広げて、ドイツ出身で新小岩育ちという生い立ちでも注目されました。

木村昴さんの経歴やエビソードを知りたい方は、ぜひお読みください。

木村昴の学歴・出身校

とんでもない音痴のジャイアン役で声優デビューしたものの、実はラップや音楽が大好きで抜群の歌唱力を持っている木村昴さん。

大学から小学校までの学歴と、学生時代のエピソードを紹介します。

出身大学

木村昴さんは、亜細亜大学を中退しています。

在籍していた学部は明かされていません。

1941年に経済の専門学校として開校し、組織改正により1955年に大学としての運営が開始されました。

経営、経済を中心に学べますが、国際関係学部には多文化コミュニケーション学科があり、グローバルな視点を持つ学生を育成しています。

また、亜細亜大学への進学を目指す留学生に1年間で日本語と国内事情を教える「留学生別科」を設置していることでも有名です。

プロ野球の阪神タイガースで活躍中の木浪聖也さん、タレントのベッキーさんもこの学校の卒業生です。

学校名 亜細亜大学 ※中退
学科・コース 非公表
偏差値 35.0〜42.5
所在地 〒180-8629 東京都武蔵野市境5-8
※武蔵野キャンパス
最寄り駅 武蔵境駅・・JR(中央本線)、西武鉄道(多摩川線)
※武蔵野キャンパス
公式サイトHP https://www.asia-u.ac.jp/
著名な卒業生 木浪聖也(プロ野球選手)・ベッキー(タレント)

木村昴さんの大学時代

木村昴さんは2010年4月に大学に入学しています。

すでに声優として仕事をしていたことから、自分で入学費用を支払いに行ったこと、入学式前日には「明日はいよいよ大学の入学式だ!」とわくわくした気持ちをSNSに投稿していました。

大学では俳優の前田公輝さんや声優の飯田里穂さんと同級生で、当時から交流があったことを明かしています。

また、高校卒業と同時に『天才劇団バカバッカ』を旗揚げし、座長としての活動も積極的に行っていました。

なぜ大学を中退したのかは公表されていませんが、学業よりもその他の活動が忙しくなってしまったのが原因の一つかもしれませんね。

出身高校

木村昴さんの出身高校は、東京都立晴海総合高等学校です。

1910年に東京市立の女子実業補習校として開校し、数度の移管や統合を経て1996年に都立高校初の総合学科校として現在の形で開校しました。

東京都立大学の敷地内に校舎がありますが付属校ではなく、大学への推薦枠もありません。

ビジネスやシステムなどの商業系のコースが多く、語学は英語以外にもフランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語などを学べ、国際社会に通用する人材育成を進めています。

モデルの望月ミキさんは同級生で、ギタリストでGACKTさんをはじめ多くのミュージシャンのサポートメンバーとしても活躍中の鮫島巧さんも、この学校の卒業生です。

学校名 東京都立晴海総合高等学校
学科・コース 総合学科
偏差値 46
所在地 〒104-0053 東京都中央区晴海1-2-1
最寄り駅 月島駅・・東京メトロ(有楽町線)、都営地下鉄(大江戸線)
月島三丁目バス停・・都営バス(門33系統)
晴海一丁目バス停・・都営バス(東15系統、業10系統)
公式サイトHP https://www.metro.ed.jp/harumisogo-h/
著名な卒業生 望月ミキ(モデル)、鮫島巧(ギタリスト)

木村昴さんの高校時代

出身高校は都立高では珍しい単位制の高校で、語学に力を入れていることから、木村昴さんはこの高校への進学を熱望していました。

すでに声優デビューしていた木村昴さんはAO入試でジャイアンの声を日本語、英語、ドイツ語の三か国語で披露しましたが、あえなく不合格となっています。

僕、高校が特殊なところだったんで、AO入試という、推薦で入れるシステムがあったんですよ。そこで、一芸を披露する場があったんですけど、僕そこで思いっきりジャイアンをやったんですよ(笑)「俺ジャイアンだぜ!」感をめっちゃ出しまして。そしたらまさかの落ちたんですよ(笑)ジャイアンで落ちるとは思ってなくて、、、そこから1ヶ月必死に勉強して、筆記で何とか入れましたね。
出典:https://www.excite.co.jp/news/article/TBSRadio_335369/?p=3

 

先代ジャイアン役の声優を務めたたてかべ和也さんは、この高校の近くに住んでおり、文化祭や体育祭などのイベントの際には、木村昴さんを応援するために駆け付けていたそうです。

高校がたてかべさんの家のすぐ近くだったので、体育祭と文化祭に3年間来てくれました。ある日、学食が騒がしいなと思ったら、たてかべさんがなぜかいて、「♪オ~レはジャイア~ン」ってリサイタルをして生徒からの喝采を浴びていたり(笑い)。おかげでめちゃめちゃ鼻が高かったです!
出典:https://www.news-postseven.com/archives/20190115_843913.html

 

声優活動との両立で多忙だったと思いますが、充実した高校生活を送っていたようですね。

出身中学校

木村昴さんの出身中学校は、葛飾区立小松中学校です。

1948年に葛飾区立第十四中学校として開校し、翌年に現在の校名に変更されました。

古くからコンピューター教育に力を入れており、1990年には葛飾区のコンピューターセンター校に指定されています。

また、2000年には制服を一新し、ブレザーが標準服となりました。

さらに2018年から2019年にかけては校舎の建替があり、木村昴さんは旧校舎を懐かしんで訪問したことがSNSで明かされました。

『サラリーマン金太郎』などの作品で知られる漫画家の本宮ひろ志さんも、この学校の卒業生です。

学校名 葛飾区立小松中学校
所在地 〒124-0024 東京都葛飾区新小岩4-30-1
最寄り駅 新小岩駅・・JR(総武本線)
小松中学校前バス停・・京成バス(新小71)
公式サイトHP https://school.katsushika.ed.jp/swas/index.php?id=komatsu_j
著名な卒業生 本宮ひろ志(漫画家)

木村昴さんの中学校時代

中学時代の木村昴さんは、声楽科だった母親のすすめでバイオリンを習っていました。

しかし実は嫌いで仕方がなかったそうで、演奏会の最中に失神したこともありバイオリンを辞めています。

その後中学3年生の春にジャイアン役の声優に合格し、芸能活動を本格的に始めることになりました。

国民的人気アニメの声優を務めるにあたり、周囲から「気を付けるように」と言われ、スキャンダルなどへの警戒心を抱いたのもこの頃だったと振り返っています。

塾通いの際には、駐輪場に停めていた自転車にタバコや日本酒の紙パックが置かれるなどの嫌がらせを受けたこともありました。

その際には持っている姿を写真にとられてはいけないと、一度自転車を蹴り倒してから起こして乗るというほどの警戒ぶりだったそうです。

また、中学校では母親から厳しい言葉をかけられたことをきっかけに生徒会長を務めました。

あと、母に「中学校の中でトップに慣れない奴が、芸能界でトップになれる訳が無い」って言われたことが悔しくて悔しくて、生徒会長になってやりましたよ
出典:https://www.tbsradio.jp/archives/?id=p-335369

 

目立つ存在だったにもかかわらず木村昴さんは周りから愛され、信頼されていたことがよくわかるエピソードですね。

出身小学校

木村昴さんの出身中学校は、葛飾区立小松小学校(現:葛飾区立小松南小学校)です。

1903年に分校として開校し、1935年に小学校として独立しました。

その後2001年に近隣の松南小学校と合併し、現在は小松南小学校という名前で旧小松小学校の場所を使って運営されています。

柔道家で2021年東京五輪金メダリストのウルフ・アロンさんも、この学校の卒業生です。

学校名 葛飾区立小松小学校(現:葛飾区立小松南小学校)
所在地 〒124-0024 東京都葛飾区新小岩2-25-1
最寄り駅 新小岩駅・・JR(総武本線)
公式サイトHP https://school.katsushika.ed.jp/swas/index.php?id=komatsuminami_e
著名な卒業生 ウルフ・アロン(柔道選手)

木村昴さんの小学校時代

ドイツ生まれの木村昴さんは7歳の時に家族で来日し、葛飾区新小岩に転居しました。

日本語は全く話せませんでしたが、両親はあえて公立の小学校に木村昴さんを入学させ、学校生活の中で日本語を覚えていったのです。

しかし、木村昴さんはさらなる日本語の上達と、何か一生懸命になれることをしたいと思い始め、児童劇団のオーディションを受けて活動を始めました。

学校生活と並行してバイオリン、劇団のレッスンと忙しい日々を送っていましたが「素直で手のかからない子供だった」と母親が明かしています。

海外育ちらしくサービス精神も旺盛で、庭のサクランボの実を女子にプレゼントするなど、なかなかの紳士だったようですよ。

木村昴の経歴

大の銭湯好きで、コロナ禍以前には仕事帰りなどに週3,4回のペースで通っていたという木村昴さん。

どのような経歴の持ち主なのか、詳しく見ていきましょう。

家族や子供時代のこと

木村昴さんはドイツで生まれ、7歳までドイツで暮らしました。

父親はドイツ人でオペラ歌手のヨズア・バルチュ(Josua Bartsch)さんで、2024年現在は武蔵野音楽大学の準教授を務めています。

母親は声楽家の木村克美さんで、バロック音楽のソリストとして活動していました。

また、6歳下の妹である木村飛鳥さんはミュージカル俳優として現在ニューヨークに拠点を置いています。

音楽一家に生まれた木村昴さんは、両親の演奏会に同行してヨーロッパ中を回っていたそうですよ。

来日後、初めのうちは日本語が話せないことで寂しい思いをしたこともありましたが、持ち前のポジティブで明るいキャラで友人を作り、すぐに日本の生活になじみました。

住んでいた新小岩は駅前に商店街が立ち並び、人情あふれる街なので木村昴さんにとってはとても心地よかったのかもしれませんね。

芸能界入りのきっかけ

木村昴さんが芸能の仕事を始めたのは、小学生の時に加入した児童劇団『劇団日本児童』がきっかけです。

たまたま見つけた新聞広告で興味を持ち、母親も「日本語の勉強になるかもしれない」と、オーディション挑戦を快く認めてくれました。

入団後の2002年にミュージカル『アニー』でタップダンサーとしてデビューを果たしています。

また、当時は羽賀研二さんに似ているとも言われており、「ミニミニ羽賀研二」としてものまね番組も出演していました。

そして、木村昴さんの運命を変えたのが、中学2年生の時に行われた「ドラえもんの次期声優オーディション」です。

受験理由は「クラスの人気者になりたかったから」で、記念受験のつもりだった、とのちにインタビューで明かしています。

プロの声優たちが大勢受験に来ている中、14歳の中学生の受験は審査員を驚かせました。

そして、見事にジャイアン役を勝ち取り、「現役中学生がジャイアンを演じる」として大きな話題になったのです。

芸歴

ドラえもんで声優デビュー後、木村昴さんは学校でも「ジャイアン」と呼ばれるようになりました。

常にジャイアンのイメージが付きまとい、悩んだこともありましたが、ある日「俺は剛田武(ジャイアン)として生きていく」と決意したと語っています。

大学入学後は声優だけでなく様々なことに挑戦しようと考え、高校卒業と同時に劇団『天才劇団バカバッカ』を旗揚げし、2023年の活動休止まで精力的に舞台に立ちました。

また、2001年からおはキッズとして出演していた子供向け番組『おはスタ』には、2020年からはメインMCの「スバにぃ」として出演し、子供たちから人気を博しています。

ラップや落語にも造詣が深く、ラップでは「好良瓶太郎(こうらびんたろう)」落語では「のゝ乃家ぶらんけんぶるく」「有楽亭声独」の別名で活動しています。

下町風情あふれる新小岩育ちの木村昴さんは、人とのつながりを大切にすることでも有名です。

先代ジャイアン役のたてかべ和也さんが引退時に「二代目ジャイアンと酒を飲みたい」とコメントした時に自分は中学生だったためすぐに約束を果たせませんでした。

それが心苦しく、25歳の時にやっとたてかべ和也さんと二人でお酒を飲めた時は「本当にうれしかった」と語っています。

マルチに活躍中の木村昴さんですが「ジャイアンとして生きる」を忠実に守っているのかもしれませんね。

木村昴のプロフィール

日本名の「昴(すばる)」は、祖母が谷村新司さんの曲名にちなんでつけたと知った時から、この曲を「人生のテーマソング」にしている木村昴さん。

木村昴さんのプロフィールを見ていきましょう。

芸名 木村 昴(きむら すばる)
本名 Subaru Samuel Bartsch(スバル・サミュエル・バルチュ)
※日本名は芸名と同じ
生年月日 1990年6月29日
出身地 東ドイツ・マクデブルク県ブランケンブルク
身長 183cm
体重 73kg
血液型 O型

まとめ

木村昴さんの学歴や出身校と経歴、芸能界デビューのきっかけと現在の活動状況を紹介しました。

中学生でジャイアン役として鮮烈なデビュー後も、さまざまなアニメやドラマで声優を務めるほか、舞台、MC、ラップなどさまざまな顔を持ち、幅広い層に人気のタレントとして定着しました。

7歳で来日し、初めのうちはつらいことも多かったと思いますが、それを乗り越えて愛される存在になったのは、木村昴さんの持つ人懐っこさや新小岩という温かい土地柄で育ったせいかもしれません。

これからも、私たちをあっと驚かせる木村昴さんの活躍に期待したいですね。

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