長迫吉拓さんは、東京五輪の自転車競技BMXレーシング(男子)の代表に内定しています。
BMXとトラック競技の二刀流選手としても知られる長迫吉拓さんの経歴、家族、幼少期について調べてみました。
長迫吉拓さんの学歴・出身校
長迫吉拓さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。
長迫吉拓さんのプロフィール
氏名 | 長迫 吉拓(ながさこ よしたく) |
生年月日 | 1993年9月12日 |
出身地 | 岡山県笠岡市 |
身長 | 175cm |
体重 | 76kg |
血液型 | 非公開 |
長迫吉拓さんの学歴・出身校
昨日で2週間の隔離が終わり、BMXコースに直行しました。やっぱりBMXが好きです🙏🏻 pic.twitter.com/q6u8Ii54YT
— Yoshi Nagasako (@YOSHITAKING993) April 6, 2020
長迫吉拓さんは、中学校を卒業後、高校に進学しています。
進学先の高校名は公表されていませんが、この頃に地元でスポンサー探しをしていたことから、岡山県内の高校に進学した可能性が高いです。
しかし競技活動に専念するために中退し、スイスにあるUCIワールドサイクリングセンターに所属しました。
ここは、UCI(世界自転車競技連盟)が運営する自転車選手養成施設で、最新の機器や環境が整っています。
この施設で長迫吉拓さんはロンドンオリンピック出場を目指しましたが、残念ながら出場権を獲得することはできませんでした。
思い切って日本を飛び出し、あえて自分を追い込む姿勢に長迫吉拓さんの自転車への情熱が感じられます。
出身中学校は岡山県笠岡市にある、市立大島中学校です。
笠岡市は岡山県南西部に位置し、瀬戸内海に面した温暖な気候です。
南側には干拓地と笠岡諸島が広がり、この地域に生息するカブトガニは国の天然記念物に指定されています。
中学校には生物部があり、カブトガニの保護活動を行っています。
出身小学校は同じく笠岡市内の市立大島小学校です。
大島中学校の約500m西に位置し、教育目標は「自ら学び、たくましく生きる。心豊かな子どもの育成」です。
自然豊かな環境で学んだことが、長迫吉拓さんの伸びやかなプレースタイルにもつながっているのでしょう。
長迫吉拓さんの子供時代とご家族情報
長迫吉拓さんは、どのような子供時代を過ごしたのかを見ていきましょう。
またご家族の情報についても調べてみました。
長迫吉拓さんは父の有二さん、母の貴恵さん、姉の萌子さんの4人家族です。
長迫吉拓さんの脚力を表すエピソードがあります。
まだ伝い歩きもできない生後7ヶ月の頃に、既にベビーベッドを乗り越えて床をハイハイし、両親を不思議がらせていたそうです。
父の有二さんは「この子はとんでもない大物になるかもしれないと感じた」と語っています。
また、有二さんは長迫吉拓さんが4歳の時に脱サラし、笠岡干拓地で「長迫バラ園」の経営を始めました。
バラ園の向かい側には、笠岡市が運営し、公式競技会でも使われている「かさおか太陽の広場BMXコース」があります。
長迫吉拓さんは保育園から帰ると自分の子供用自転車に乗ってBMXコースに通い、走り回っていました。
BMXコースが自分の庭にあるような環境で成長したのですね。
長迫吉拓さんの経歴
幼少期からBMXに親しみ、中学生でプロに転向後も安定した活躍を続けている長迫吉拓さん。
そんな長迫吉拓さんですが、どのような経緯で自転車と出会い、どのような実績があるのかを見ていきましょう。
自転車との出会い
好きな植物と好きな自転車☺️🇫🇷 pic.twitter.com/BzCmTSKsSi
— Yoshi Nagasako (@YOSHITAKING993) February 22, 2021
長迫吉拓さんは物心ついたころから子供用の自転車に乗り始め、4歳の時には補助輪なしで乗れるようになっていました。
自宅前のBMXコースに毎日通いますが、子供用の自転車ではハードな走りに耐えられず、ついにはペダルが折れてしまいます。
それをきっかけにBMX専用自転車を手に入れ、本格的に競技を始めました。
大人用のBMX車でしたが、長迫吉拓さんはやすやすと乗りこなし、5歳の時に競技に初出場を果たします。
その成長は早く、9歳の時には日本代表として初の海外遠征となる世界選手権に出場しました。
上達するにつれて向かいのBMXコースでは物足りなくなり、小学校4年生の時には自宅のバラ園に自分専用のコースを作ってしまいます。
しかも自らバラ園整備用の重機を操り、自分が練習したいコースレイアウトや障害物を作ってしまったというのですから驚きです。
思ったことは何でも自分で挑戦するという行動力も素晴らしいですし、それを理解して伸ばしてあげようと見守る家族も温かくて素敵ですね。
経歴・エピソード
長迫吉拓さんはその後もますます腕を上げ、中学生の時にプロ転向を果たします。
17歳の時に「自分はBMXを極めてロンドンオリンピックに出る」と決め、高校を中退してスイスに渡ります。
しかし世界の壁は厚く、ロンドンオリンピックの切符を手にすることはできませんでした。
渡航費用や遠征費は両親が捻出していましたが、これ以上迷惑はかけられないと考え、自ら企画書を作成してスポンサー探しを開始します。
「その数は400社を超えた。当時はつらかったけど今思えばその経験が役立っている」と長迫吉拓さんはインタビューで語っています。
困難に立ち向かい、自分で考えて道を拓くその姿勢が評価され、長迫吉拓さんは現在多くのスポンサーに支えられています。
主な戦績
長迫吉拓さんはBMXレーシングの日本最速ライダー、トラック競技のスプリンター、そして東京オリンピック代表選手として活躍が期待されています。
プロ転向後の主な戦績は以下の通りです。
【国内レース】
2011-2017:全日本BMX選手権大会 優勝(6回)
2012:ジャパンシリーズ 優勝(3回)
【海外レース】
2010:アジアBMX選手権大会 優勝
2013:世界選手権大会 7位入賞
2014:ワールドカップ第3戦TT 準優勝
2015:ヨーロッパ選手権 準優勝
2018 アジア競技大会 優勝
トラック競技で鍛えたスタートダッシュと確かなテクニックを持つ長迫吉拓さんの走りは、国内だけでなく海外にも多くのファンがいます。
その迫力ある走りで、東京オリンピックではメダルに向かってフルパワーで走ってくれることでしょう。
まとめ:長迫吉拓の学歴・出身校と経歴
今回は、長迫吉拓さんの学歴や経歴、家族についてご紹介しました。
「笠岡の干”拓“地から”吉“をつかんでほしい」との思いから吉拓と名付けられた少年は、その名の通り世界を切り”拓”くトップライダーに成長しました。
トラック競技で磨いた瞬発力を生かし、BMXレーシングでも抜群のスタートでファンを魅了している長迫吉拓さん。
家業であるバラのイラストをヘルメットにあしらい、文字通りアスリートとして大輪の花を咲かせています。
思い切りの良さと美しいハンドルさばきで、東京オリンピックでも迫力ある走りを見せてくれることと思います。
BMX界を牽引し、盛り上げてくれること間違いなしの長迫吉拓さんにエールを送りましょう。