駅伝の怪物と言われた新谷仁美さんは、10000mとハーフマラソンの日本記録保持者です。
笑顔が素敵な女性ですが、その実力はまさに怪物といわれるのに相応しい経歴を持っています。
そんな新谷仁美さんの学歴や出身校、またその経歴や戦績をご紹介します。
新谷仁美さんの学歴・出身校
昭和の最後の年に生まれた新谷仁美さん、駅伝の怪物ランナーといわれる一人で「にいやん」、という愛称で親しまれています。
そんな新谷仁美さんのプロフィールや学歴、出身校をご紹介します。
新谷仁美さんのプロフィール
- 氏名:新谷仁美(にいや ひとみ)
- 生年月日:1988年2月26日
- 出身地:岡山県総社市
- 身長:165㎝
- 体重:44kg
- 血液型:AB型
新谷仁美さんの学歴・出身校
現在は積水化学に所属する新谷仁美さんの最終学歴は、岡山県井原市にある興譲館高等学校です。
この学校は私立の学校で1853年(嘉永6年)開校の歴史ある学校です。
男子陸上部は全国高校駅伝に1977年までに11回出場の強豪校で、女子陸上は優勝を2回・2位入賞を3回の経歴を持つ強豪校です。
中学校は岡山県立総社市立総社東中学校を卒業。
この中学校は改称を8回重ね、歴史を現在まで引き継いできた学校です。
卒業生には児山佑斗選手(元プロ野球選手)がいます。
小学校は岡山県総社市立山手小学校を卒業。
校舎からは田園風景が広がり、生徒が心豊かにのびのび育つ学校です。
新谷仁美さんの子供時代とご家族情報
ヴィンテージ❤️ pic.twitter.com/NOlF6Css56
— 新谷仁美 (@28xxH) December 4, 2014
3歳から12歳まで水泳をしていたエピソードの中で、勢いよく飛び込んだときに勢い良すぎて前歯が欠けてしまい、兄に爆笑されたそうです。
他にもサッカー・バスケットボールをしていました。
ピアノもやっていたことがあり、当時ご本人は自分だけが月謝が高いのを自分が特別だと勘違いしていたお茶目な一面ももっている新谷仁美さん。
しかし、母親からは「特別に下手で手のかかる生徒だったから、月謝が高かった」と事実を明かされています。
また7年間、習字もやっていましたが、何となく続けていた記憶しかないと話しています。
そんな活発な少女時代を過ごした新谷仁美さんは、後に森政監督に「どのスポーツをやっても全国レベルになっていただろう」と言わせています。
新谷仁美さんのご家族は、父親・母親と兄二人の五人家族です。
母親が新谷仁美さんに対して言った「学問は0点でもいいのよ。人間としての常識とマナー、生きる上で強さはお母さんが生きてる間に、仁美もしっかり準備してね」という話は有名です。
更に新谷仁美さんは、あるインタビューで、宝物はなんですか?との問いに「母、小太郎、武蔵、福」と答えています。
兄は陸上をしていたそうですが、お名前までは公開されていませんでした。
新谷仁美さんの経歴
新谷仁美さんは一度2014年に引退しましたが、2018年に復帰を果たしています。
陸上選手にとってこのブランクは決して短くない期間といえます。
しかし、また再び競技に向き合った新谷仁美さんの陸上競技との、出会いはどんな経緯があったのでしょうか。
その出会いや、また経歴や戦績をご紹介します。
陸上競技との出会い
新谷仁美さんが競技を始めたのは、兄の影響があったと話しています。
兄が二人とも陸上部に入っていたことで、真似っこして陸上を始めたと明かされ当時はどうしても陸上がやりたいとの気持ちはなかったそうです。
もう一つ新谷仁美さんが陸上を始めるきっかけを作った選手がいます。
高橋尚子さんで、シドニーオリンピックで金メダルを取ったときの映像をみて「あぁ私もマラソンで金メダルがとりたいな」と思ったことが始まりでした。
経歴・エピソード
新谷仁美さんの中学校時代は陸上に加え、バトントワリングにも挑戦していました。
ここまでの様々な競技の経験が後の新谷仁美さんの基礎的な運動能力を伸ばし、高校進学1年間は競歩にも取り組み現在の走りの基本を手に入れます。
また高校時代には世界クロスカントリー選手権大会にジュニア代表として3年連続出場。
2011年には千葉国際クロスカントリー8000m・福岡国際カントリー6000mダブル優勝も経験。
福岡国際クロスカントリー6000mにおいては、2012年・2013年と連覇を飾ります。
セキスイに移籍後、初めての全国都道府県対抗女子駅伝では、東京都の初優勝を果たすべく「怪物のごとく追う」と公言していましたが、惜敗。
その際の「怪物じゃなくて人間でした」という言葉は有名です。
大阪国際女子マラソンではペースメーカーを見事に務め、松田瑞樹選手の記録を出すのに貢献しました。
2014年引退を表明後、一般OLとして勤務していましたが2018年復帰。
復帰の理由は単に給料が良いからという、アッサリしたものでした。
復帰してからは、4年のブランクを感じさせないくらいの活躍を見せます。
主な戦績
【HAPPY BIRTHDAY】
今日2月26日は#新谷仁美(@iam_hitominiiya)選手《積水化学》33歳の誕生日です🎂
おめでとうございます👏岡山県/興譲館高卒
◆10000m・ハーフマラソン日本記録保持者✨◆
五輪・世界陸上(3大会)🇯🇵代表
10000mで東京五輪内定✨ pic.twitter.com/wnyiATPdRv— TBS 陸上 (@athleteboo) February 26, 2021
新谷仁美さんの戦績はどのようなものか見ていきましょう。
2005年モロッコ・マラケシュ開催の世界ユース陸上競技選手権では3位入賞。
2011年アジア陸上競技選手権大会では、2位入賞の銀メダルを獲得しました。
2019年ドーハでも銀メダルを獲得。
2018年に復帰して翌年の2019年では、銀メダルを獲得している新谷仁美さんの怪物的な実力が垣間見える戦績です。
まとめ:新谷仁美の学歴・出身校と経歴
陸上競技において素晴らしい記録を樹立したのち、引退を表明し4年のブランクの後に復帰。
その時には走ることは嫌いだけど、仕事と思って取り組んでいると話すなど新谷仁美さんは他のアスリートとは少し違った人物であることが分かります。
どんなスポーツもそつなくこなし、監督からはどのスポーツを選んでも全国レベルと言わしめた天才・新谷仁美さん。
そんな新谷仁美さんの学歴と出身校、その経歴をご紹介しました。